岡田小学校 校歌の歌詞に込めた想い 校歌制定35周年を記念して
校歌説明 作詞者;関根秋雄 制定 昭和54年12月5日
1、人間何をするにも健康が第一であります。どんなに優れた頭脳を持っていても、体が丈夫でないと、それを生かすことも、仕事をすることも出来ません。
そこで,第一章節では、体を鍛えるということに願を籠めて、まとめてみました。
関東の名峰筑波山、大昔から茨城県のほぼ中央に,どっしりと構えて、そびえ立っている。昔から紫峰、むらさきの山として多くの人々より愛され親しまれ、又、信仰の山として、その存在が認められてきました。
この山を心の友と仰ぎながら、岡田小学校の全児童が、はつらつと運動に励み、生涯健康で暮らせるよう、身体の鍛錬に、いそしむことを願って、みんな笑顔で、はつらつとして、体を鍛え、すくすくと伸びる希望を歌にしました。
結びを岡田小学校としましたが、学校という定義は、建物だけでは学校とは云いません。校舎という建物があり、そこに学ぶ児童、それと教師があって、教材、教具、施設等が揃えられて、それらが有機的機能することによって、始めて学校と呼ばれるものであります。
従って始めは結びを岡田小学生としようかと思いましたが、それでは、児童だけという狭い意味になってしまいますので、児童は学校に包含されるという考え方で、岡田小学校と結んだ訳であります。
2、私は子供の頃、青空を眺めることが好きでした。一点の雲もない紺碧の青空を、草むらの上に仰向けになって、じっと眺めていると、身も心も、すうっと大空の中へ吸いこまれていく様な気持ちになって,何も彼も忘れ去ることが出来るんですね。
無心というか、無我の境というか、本当に心の底まで澄みきっていく様に覚えられたんです。
鬼怒の流れも、何千年もの間絶えることなく、豊かな水をたたえて、流れ続けてきた事でしょう。また、これから先も、水の流れは絶えることなく、流れ続けることと思います。水にたとえた教えの言葉も沢山ありますが、澄み切った水の流れを、じっと見つめていると、何か自然に、心が澄んでくる様な気がします。この気持ちを、「心を洗う鬼怒の波」と歌いました。
こうした、すがすがしい気持ちをもって、お互いに助け合い、励まし合いながら、勉強に精を出し、自分自身を磨き上げる。一番では、体をきたえる事を中心に、二番では学問の力によって心を磨き上げる。そして稔りの花を咲かせ、立派に実を結ばせる、という願いをこめて歌詞をまとめました。
勉強を成し遂げた喜び、心の中に充実感が湧いて参ります。心に充実感が湧いてくる、これが溢れる力であり、余裕が生まれ、この力が、心の豊かさとなって生まれてくるものだと思います。
3、土に栄えしふるさとは、土は大地であり、岡田という地名の郷土であります。岡田という地は文検上は明確でありませんが、歴史的に見て非常に由緒ある所だといわれております。日本の国家が統一された、古い時代は、この地方の中心地として栄えたものと思われます。その一つの言い伝えとして国生という地名は、昔、この地方を治めていた国庁が置かれていたところから,国庁が訛って国生という地名になったと伝えられております。また桑原神社は延喜式による桑原王を祭神とする、由緒ある神社であって、古くから、この地方の文化の中心であったことを伺い知ることが出来ると思います。
新しい時代になってはNHKで放送された平将門の歴史は多くの人の知る所であります。
明治になってからは、長塚節という、歌人でもあり、小説家でもある文化人を生んでおります。
私たちの祖先の人々は、この様に輝かしい歴史や文化を生んでくれました。この輝かしい郷土に生まれ,この郷土に育てられたことは、本当に私たちの誇りであります。
私たちは,祖先の人々に負けないような立派な文化を築き上げなければならないと思います。
大きな夢を胸いっぱいにふくらませて、人間の永遠の願いである世界平和の為に足並みを揃えて高らかに前進する。
そして最後に岡田小学校が続く限り,益々栄えあらん事に,願をこめて第三章節をまとめた訳であります。